スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

聲の形

★★★★☆

あー、面白かった。
京アニの良質な作画とテンポの良い展開で、2時間なんて全然感じなかったわ。
泣けるし、萌えるし、考えさせられる。色んな軸があって非常にグッド。
――ただまぁ。
気になる点がないでもないっつーか。
いや個人的にこの物語はこれでオッケーとは思ってるんだけど、納得出来ないって人の気持ちも分かるんだよ。
というのも踏まえて以下ネタバレ注意。



本作のテーマの一つはコミュニケート。
これは聴覚障碍者とのコミュニケートの問題でもあるけど、実は人と人とのコミュニケート全般の物語にもなってる。
例えば西宮さんの前で陰口を叩くシーンがあって、その度に西宮さんは「何を話してるんですか?」って聞くわけ。で、みんなそれをはぐらかす。
そりゃそーだ。だって陰口を叩かれた本人なんだから。
でもそれだけじゃなくてね、つまり悪口を説明する気まずさ、バツの悪さでもあるんだよ。
誰だって陰口を叩くのが悪いってのは分かってる。それをわざわざ紙に書いて客観視するってのは、もう耐えらんないわけ。西宮さんは自分の醜さを写す鏡みたいなもんなんだよ。
でもさ、悪口を言うのってのもコミュニケートなんだよ。教師や上司の悪口ってメチャクチャ盛り上がるでしょ? それに文句も悪口も言えない相手って、それは友達とは言えないでしょ?
だからこそ学園祭のシーンで足立が手話でバカって伝えたのは非常に大きな意味があって、西宮さんがすごい嬉しそうにするのは、正にコミュニケート出来た証左だから。
あそこが彼女と彼女の物語のゴールなわけ。

それともう一つ、コミュニケートについての大きな話があるんだけど――これは後述する。
この作品の問題点に直結するお話なので。


却説。
もう一つのテーマはずばり罪悪感。(贖罪ではないのがポイント)
そもそもの話の発端は石田くんが西宮さんをイジメたことと、それが原因で今度は自分がイジメられるようになったこと。
被害者の側になったことで、石田くんは罪悪感を負い続け、人の声も顔も意識しないように――つまり精神的な聾唖となる。
つまり石田くんと西宮さんは同じような存在なの。これは互いの家族構成(母子家庭)なんかも共通してて分かりやすい。
で、高校生になって西宮さんと再会した石田くんは友達として最初から関係をやり直すって話なんだけど……。
そう、あくまでやり直すなんだよね。
罪を贖うでも赦しを乞うでもなく――そもそも西宮さんが気にしてないから――その結果の恋愛物語になっているので、まあ争点になるのも分からんでもない。
ただ本作は贖罪ではなく罪悪感がテーマだから。個人の行動ではなく内面の物語なの。
何故かって言うとそれは西宮さんも罪悪感を抱いていて、しかもそれは贖えないものだから。
これもまた後述。
もう一つのコミュニケート問題についてと一緒に、次のセンテンスで語ろう。
つまりこの作品の問題点について――。


西宮さんマジ天使。
イジメられても決して怒ったりしないし、イジメてくる子に対しても友達って言うし、心に暗いところが全くないし、可愛いし、声は早見さんだし、そりゃーもう聖人みたいな人なんだけど――これこそが物語的にも作品的にも最大の問題点になっている。

こいつは個人的に障碍者=イノセント問題と呼んでるもので、要するに24時間テレビ的な障碍者の人は苦労を続けていて心が清らかなんだってやつ。
近年ではようやく「いやいや俺たちだって腹も立つし殺す!って思うこともあるぞ。お前らの勝手なイメージ押しつけんなよ」ってのが障碍者自身からの発信で広まってきて、障碍者というのをイノセントな存在ではなく一人の人間として描くことが主流となってきたように思う。
しかし西宮さんはイノセントで聖人で、そこが前時代的な感動ポルノであると批判される部分でもある。

が、実際のところ西宮さんは確かに良い人だけど、しかしそれは決して純粋な善性によるものではない。
彼女が良い人なのは石田くんと同じで罪悪感によるもの。自分は人に迷惑をかけて生きている、生きていることが申し訳ない、ごめんなさい――という罪悪感が彼女の根幹にあって、それが彼女の献身や滅私に繋がっている。
作品テーマである罪悪感とは石田くんだけではなく、西宮さんのものでもあるのだ。
しかし石田くんは橋から飛び降りるのを止まったけれど、西宮さんは跳んでしまった。
何故なら石田くんの罪悪感は西宮さんという個人に対するもので、これは西宮さんを助けることで結果的に贖われるのだが(ビル落下後の河の中で丸まるというのは、分かりやすい生まれ変わりのメタファー)、西宮さんが抱える世間という帰属社会に対する罪悪感は最後まで贖われることがない。
西宮さんだけは『障碍者はイノセントでなければならない』という呪縛に囚われたままになってて、観客に『それで良いの?』と思わせるものになっているのだ。
ラストシーンにしても、石田くんの精神的聾唖の解消が描かれているが、西宮さんの肉体的聾唖が解消されることは当然ない。
石田くんだけが救われるエンディングは、片手落ちと言われると反論しがたいものがある。

実のところ、西宮さんは完璧な被害者ではない。
劇中でも安達が言っているように、西宮さんはいつも謝ってて悪口や文句を決して言わない。
それは彼女が人に迷惑をかけているという思い込みによるものなんだけど、謝るってことは問答無用で謝る側が被害者に、謝られる側が加害者になってしまう。それはコミュニケートの断絶である。
しかしながら作中では安達があまりに悪者として描かれてしまっていて、西宮さんの無自覚の加害についてはほとんど印象がなくなってしまってる。
これが前述のコミュニケートについてのもう一つの大きな要素である。

でもなー。
じゃあ西宮さんがイジメっ子をみんな殴り倒して、カメラに向かってファックユーすれば良いかっつーと、それは西宮さんじゃなくてミラ・ジョボビッチとかじゃない?
これは漫画でさ、アニメでさ、オタク向けコンテンツなんだから萌えなくちゃダメなんだよ。
だからキャラとしてはこれで良いと思うし、どうしようもないとは思うんだよね。
ただ誰かが彼女に「君は良い子じゃなくていいんだよ」って言ってあげてほしかったなぁ、というのはあるかな。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

左

Author:左
hideとマリリンマンソンとベクシンスキーと京極夏彦と金庸と今川泰宏と冲方丁と八房龍之介と高寺成紀と牙狼とガングレイヴ(アニメ)とマクロス7を神と崇めるサイト。(多神教)

bogiehouseアットmail.goo.ne.jp

< このHP(ブログ)はライアーソフト「 黄雷のガクトゥーン」のサポーターサイトです >

















































最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。