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マン・オブ・スティール


★★★

面白くなかったわけじゃないんだけれど……。












以下ネタバレ。


今回の映画は『スーパーマンが実在していたら?』を丁寧に描いてる。
能力が暴走して気が狂いそうな子ども時代とか、正体を隠すために人を見捨てないといけないのかとか、30過ぎてもずっと自分探しの旅をしていたりとか。
このあたりはすごく良かった。スーパーマンが等身大の人間像で描かれていたし、育ての父との親子の関係もすごい良かった。

ただ自分探しが終わった後、地球に侵略者が現れてからの中盤以降が微妙だった。

例えばスーパーマンが敵と戦ってるとき、軍にまとめて銃やらミサイルやら撃たれるシーン。
スーパーマンはそれでも軍の人間たちを助けようとして、最終的に軍のリーダーが「彼は敵ではない」って言う感動的な場面があるけど。

これ、クウガなんだよ。

最初は侵略者と同じ化物扱いされるけど、行動によって信頼を勝ち得て、最終的に公的機関と協力して敵と立ち向かうってのも完全に同じ。
でもこのスーパーマン、軍に捕らえられたときにヒロインのロイス・レーンとしか会話してない。軍人に対して「俺は敵じゃない」って言う一方で「あんたたちは俺を恐れてる」って微妙に挑発的。
まず信じてみるべきだって諭されたはずなのに、なんか信頼して欲しいってことが先に出てるんだよ。
五大雄介みたいな全幅の信頼や善意を相手に向けてるわけじゃないから、いまいちヒーローって感じがしない。

あと敵はクリプトンの政治犯なんだけど、このあたりもなー。
「たまむすび」で町山さんが言ってたスーパーマンが絶対にやっちゃいけないことって、つまり同族殺しのことでしょ。
クリプトン最後の生き残りってのがスーパーマンの設定だし、原作でもプレイニアックにミニチュア化されたクリプトンの都市を必死で守ってたわけだし。
いや、スーパーマンに同族殺しをさせたってところが悪いって話じゃないんだ。ただそこに葛藤や悲哀が薄いのが問題なんだよ。

まずクリプトン星がしてそもそも人工培養を使った管理国家で同情の余地が皆無。反逆者であるゾット将軍も単にクリプトンを滅ぼさないことだけが目的だし。
しかも同族だから殺したくないってシーンがほんと全然ない。(ちょっとだけ躊躇うシーンはあったけど)
センセーショナル部分なんだから、スーパーマンはもっと嫌々戦うべきなんだよ。
だからゾット将軍ももっとどうしようもない悪人の方が良かったと思う。
まあここもクウガの方が上なんだよね。
殴りあいながらも笑うダグバと泣く五代。同一の存在である二人の心情の違いを、これだけのシーンで表現している名場面。
そういう繊細な表現もなかったなぁ。
後半は派手なバトルに傾注しすぎて心情描写が疎かになってた気がする。

うーん、作品単体としては悪くなかったんだけど、似たコンセプトであるクウガと比べると明らか見劣りするんだよなぁ。
クウガが映画化していれば、これをはるかに超える作品になっていたんだろうと考えさせられて、本当に惜しい。
(って、もうこれクウガの感想じゃねえか)

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