FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映画 天地明察

★★
メディアミックスするとき大事なこととはなにか?
不明瞭な言い方になるが、それは『作品の勘所を外さない』ということだろう。
その作品がなにを伝えたかったか、ファンにとってどこが面白かったのか――それを外さなければ良いのであって、ストーリーやキャラクターなどは実は枝葉末節に過ぎないのだ。

それを踏まえて言うけれど……。


駄目だ、これ。


ストーリーの改変はやむをえない。もともとの作品が――文章も劇中時間も――長いのだから。
(実際二時間半もあって尺が全く足りてなかった)
いきなり碁で真剣勝負したり、えんの性格が柔らかかったりするのは――違和感こそあれど――作品として瑕とは思わない。
しかし二点だけ、どうしても納得出来ないところがある。


以下、ネタバレ注意












まず最初の改暦に失敗した後、一人での観測に限界を感じて自棄になるパート。
出世した道策に説教されて、えんに諭されてもう一度立ち上がるわけだが……「出世したかつての同僚」「いつのまにか差がついていた」「諦めそうなところを妻の説教で立ち上がる」とまぁ、完全に現代物のノリである。
というかこの前のシーンで関孝和に大説教を食らってるってのに、すぐに自暴自棄になるってのがあまりに不自然。
冲方氏は渋川春海が何度失敗しても諦めないところに興味を持ったと、インタビューで度々語っているのにこの演出である。
結局、製作者はこの映画を男と女の物語にしてしまった。だからえんの見せ場としてこんなシーンを作ったのだろう。典型的な日本映画の悪しき風習である。


もう一点は、最後の改暦までの流れ。
大統暦が採用されてうろたえ、身分も弁えず徳川光圀に詰め寄り、日蝕勝負では腹まで切ろうとする始末。
ここはいままで失敗と挫折を繰り返した春海が成長して、碁のように次々と一手を差すのが爽快なシーンなのに、とにかく春海が ま る で 成 長 し て い な い 。
カタルシスもなにもあったもんじゃない。製作者はそもそもエンタテインメントを解していない。
しかもここでもまた、えんの言葉で腹切りを思い止まるという男と女の物語になってしまってる。
……時空を超えて何度我々の前に立ちふさがるんだ、恋愛要素!



あえて良かった探しをするなら、当時の観測機器がたくさん出てきたところかな。
あと冲方夫妻の登場シーン。モブとは思えぬ存在感。身長高いから目立つ目立つ。まあそもそもど真ん中に映ってたんだけど。
(そういや同じシーンなのにいない場面があったよーな。別日に撮ったの?)
それとパンフレット。値段のわりに暦関係のTIPSが充実してた。


あと中井貴一の光圀は全くあってなかったよ。


あーNHKでドラマ化して欲しいね。
もしくはアニメ化。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

左

Author:左
hideとマリリンマンソンとベクシンスキーと京極夏彦と金庸と今川泰宏と冲方丁と八房龍之介と高寺成紀と牙狼とガングレイヴ(アニメ)とマクロス7を神と崇めるサイト。(多神教)

bogiehouseアットmail.goo.ne.jp

< このHP(ブログ)はライアーソフト「 黄雷のガクトゥーン」のサポーターサイトです >

















































最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。